直希は病室前の廊下のベンチで、文江と共に夜を明かしていた。
「新藤さん、今ならいいですよ」
顔見知りの多い病院ということもあり、宿直医の了解が取れれば、中に入り栄太郎の様子を見れることになっていた。
「ありがとうございます。あの、じいちゃんは」
「大丈夫、落ち着いてますよ。それより暇だ、このモニターでテレビでも見れないのかって言って、看護師を困らせてるぐらいで」
「ははっ……すいません」
苦笑しながら頭を下げると、隣で眠っている文江に毛布を掛け直し、直希は病室へと入っていった。
* * *
「……」
ベッドに備え付けてある、装置の音だけがこだまする部屋。余り嗅いだことのない不思議な匂いの中、直希は医師たちに頭を下げながら、栄太郎のベッドへと足を運んだ。
「……じいちゃん、調子はどうだい」
直希が声を掛けると、栄太郎は目を開けて弱々しく笑った。
「見ての通りだよ、全く……情けないったらありゃしない」
「ははっ……じいちゃん、あんまり先生たちを困らせちゃ駄目だよ」
「困らせてなんかいないさ。わしほど言うことを聞く患者、そうはいないだろうて」
「ほんとに? さっき先生が言ってたよ。暇で仕方ないってぼやいてるって」
「愚痴ぐらい勘弁してくれって。暇な物は仕方ないだろ」
「確かにね、ははっ」
「今は……何時ぐらいなんだ」
「夜中の2時だよ」
「2時……と言うか、夜中だったのか」
「うん、そう」
「こんな部屋の中にいると、時間の感覚がおかしくなっちまうな。昼なのか夜なのかも分からん」
「まあ、照明は昼間とあまり変わらないからね」
「飯でもあれば、それなりに分かるってもんだけどな」
直希は病室前の廊下のベンチで、文江と共に夜を明かしていた。「新藤さん、今ならいいですよ」 顔見知りの多い病院ということもあり、宿直医の了解が取れれば、中に入り栄太郎の様子を見れることになっていた。「ありがとうございます。あの、じいちゃんは」「大丈夫、落ち着いてますよ。それより暇だ、このモニターでテレビでも見れないのかって言って、看護師を困らせてるぐらいで」「ははっ……すいません」 苦笑しながら頭を下げると、隣で眠っている文江に毛布を掛け直し、直希は病室へと入っていった。 * * *「……」 ベッドに備え付けてある、装置の音だけがこだまする部屋。余り嗅いだことのない不思議な匂いの中、直希は医師たちに頭を下げながら、栄太郎のベッドへと足を運んだ。「……じいちゃん、調子はどうだい」 直希が声を掛けると、栄太郎は目を開けて弱々しく笑った。「見ての通りだよ、全く……情けないったらありゃしない」「ははっ……じいちゃん、あんまり先生たちを困らせちゃ駄目だよ」「困らせてなんかいないさ。わしほど言うことを聞く患者、そうはいないだろうて」「ほんとに? さっき先生が言ってたよ。暇で仕方ないってぼやいてるって」「愚痴ぐらい勘弁してくれって。暇な物は仕方ないだろ」「確かにね、ははっ」「今は……何時ぐらいなんだ」「夜中の2時だよ」「2時……と言うか、夜中だったのか」「うん、そう」「こんな部屋の中にいると、時間の感覚がおかしくなっちまうな。昼なのか夜なのかも分からん」「まあ、照明は昼間とあまり変わらないからね」「飯でもあれば、それなりに分かるってもんだけどな」
「つぐみさん、おかえりなさいです」 戻ってきたつぐみを、あおいと菜乃花が出迎えた。「つぐみさん、その……お疲れ様でした」「あおい、菜乃花、ただいま。今日はありがとね」「いえいえ、そんなそんなです。つぐみさんの方こそ、本当に大変だったと思いますです」「それで? 夕食の準備は問題なく」「あ、はい。おばあちゃんと山下さんも手伝ってくれてますので」「お二人にお礼、言わないとね」「それにその、節子さんも手伝ってくれてます」「節子さんが?」「はいです。節子さんがあんなにお料理出来るなんて、びっくりしましたです」「そうなんだ……ふふっ、でもこういうのって、いいわね」「私もそう、思いました……やっぱりここは、みんなの家なんだなって思えて」「それでつぐみさん、直希さんと文江さんは」「直希と文江おばさんは今日、病院に泊まるみたいよ。文江おばさんはともかく、直希には戻るように言ったんだけどね。聞かなくて」「そう、ですか……あのその、直希さん、大丈夫なんでしょうか」「まあ、かなりショックは受けてたわ。でも栄太郎おじさんの容態も安定してるし、明日には戻って来るんじゃないかしら。いつもの元気な顔でね」 そう言って笑顔を向けると、あおいと菜乃花も安堵の表情を浮かべた。「それでなんだけどね、夕食、二人分追加してほしいの」「二人分ですか」「ええ。お父さんともう一人、お客さんが来ることになってるの。無理なら外で食べてから来るって言ってたけど」「いえ、直希さんと文江さんの分も作ってましたので、問題ないです」「つぐみさんつぐみさん、お客さんってどなたなんですか」「ええっとね……私と直希もお世話になった人なんだけど、偶然病院にいて、栄太郎おじさんを診てくれた人なの」
「でも、よく心筋梗塞だって気付けたね。新藤さんぐらいの容態だと、見落としてしまう医者も多いと思う。新藤さん自身だって、大袈裟だって文句言ってたぐらいだし」「ははっ……すいません」「診断を出したのは、やっぱり東海林先生なのかい?」「いえ、その……」「……ん?」「私が……診断しました……」「つぐみちゃんが? それってまさかつぐみちゃん、本当に医者になったのかい?」「は、はい、何とか……」「そうなんだ……いや、これはびっくりした。つぐみちゃん、夢を叶えたんだね。おめでとう」 つぐみの手を取り、須藤が大袈裟に喜ぶ。「お……お兄ちゃん、恥ずかしいよ……」「ははっ、ごめんごめん。じゃあ今は、先生のところで?」「はい、今は助手として働いてます。あと……直希のところと」「直希くんのところ……直希くんも医者になったのかい?」「いえいえ、俺の頭じゃ無理ですよ。俺はその、簡単に言えば老人ホームをやってまして」「老人ホーム……そうなのか、これもまたびっくりだ。直希くんが介護の道に」「じいちゃんばあちゃんも、そこで一緒に暮らしてるんです。それで今日、つぐみが診てくれて」「なるほど、そうだったんだ……でもつぐみちゃん、よく気付けたね」 頭を撫でると、つぐみは赤面してうつむいた。「たまたま、です……栄太郎おじさんの容態を聞いて、そして最近のバイタルの様子から、もしかしたらって思って」「見事だよ、つぐみちゃん。先生もきっと喜ぶよ」「…&
栄太郎は病院に到着すると、ただちに集中治療室に搬送された。 そこには6床のベッドが設置されていた。ベッドの周りには物々しい器具機材があり、足元には、天井からモニターが設置されていた。 着替えを済ませ、胸や足首には心電図を計測するための電極がつけられた栄太郎は、「こんな大袈裟な」と、憮然とした表情で天井を見つめていた。 しばらくして医師の説明を受けることになったのだが、文江は「ナオちゃんにまかせるよ。私はここで、おじいさんといるから」そう言って力なく笑った。 * * *「……それで先生、じいちゃんの具合は」 診察室に通された直希とつぐみは、モニターを見つめる医師の言葉を待った。 黒縁眼鏡をかけたその医師は、30代半ばぐらいの青年だった。「うん……大丈夫、心配ないよ」 そう言って、医師が二人の方を向く。「ほ、本当ですか」「新藤さんの症状は、心筋梗塞で間違いありません。ですがまだ初期の段階でしたので、手術の必要もありません。カテーテル治療で問題ないでしょう。集中治療室の方も、三日ほどで出られます。まあ、入院二週間ってところですね」「よかった……本当によかった……」 直希が安堵の声を漏らし、うつむいた。つぐみもほっとした表情を浮かべ、直希の肩を抱く。 こんなに肩を震わせて……直希にとって栄太郎がどれだけ大切な存在か、つぐみは改めて思い知らされたような気がした。そして、その栄太郎を救えたことに安堵した。 二人の様子を眺めながら、医師はカルテを置くと、頭を掻きながら苦笑した。「それで、なんだけどね……身内の方がこんなことになったんだ、仕方ないとは思うし、それにまあ、10年も経ってるから分からないかもしれないんだけど……つぐみちゃん、直希くん。まだ分からないかな、僕のこと」
それは突然だった。 スタッフと入居者でクリスマスの飾り付けをしている時のことだった。「おじいさん、大丈夫ですか」 文江の声につぐみが振り返ると、壁際でうずくまり、胸を押さえている栄太郎の姿が目に入った。 つぐみの脳裏に、先日の明日香の言葉がよぎる。「栄太郎おじさん、どうかしたんですか」「つぐみちゃん……いえね、さっきからおじいさん、ずっとこんな調子なのよ。調子が悪いんなら休んでいればって言ったんだけどね、大丈夫だ、大袈裟にするなって聞かなくて」「ちょっといいですか」 つぐみがそう言って、栄太郎の脈を診る。いつもより早めの脈拍に、つぐみが声をあげた。「あおい、鍵開いてるから、私の部屋から血圧計、持ってきて頂戴」「は、はいです、分かりましたです!」 つぐみの緊張感ある声に、あおいがそう言ってつぐみの部屋へと入っていった。 クッションを枕代わりにして、栄太郎を床に寝かせたつぐみ。その光景に入居者たちも手を止め、集まってきた。「いやいや……つぐみちゃん、そんな大袈裟にしないでくれるかな。ちょっと痛むだけなんだから」 入居者たちに囲まれた栄太郎が、そう言って苦笑する。しかしその表情から、かなり痛んでいるように思えた。 そんな栄太郎の頭を優しく撫でながら、つぐみは静かに、しかし厳しい口調で言った。「はい、勿論です。でも栄太郎おじさん、少しだけごめんなさい、私の言う通りにしてほしいんです」「……つぐみちゃんがそう言うなら……仕方ないか」「つぐみ……じいちゃん、病気なのか」 青ざめた表情で、直希がそうつぶやく。「……大丈夫かどうか、私がちゃんと調べてあげるわよ。ほら、そんな顔しないの」「じいちゃん……どこか悪いのか」「お
「まあでも、本当よかったね。節子さんもこんなに穏やかになってさ」「これもみなさんのおかげです」「そう言って自分以外の手柄にしちゃうダーリン、ほんと惚れ直しちゃう!」「うわっ! だ、だから明日香さん、ちょっと加減を」「いいじゃんいいじゃん、久しぶりなんだし」「いやいや、久しぶりとかの問題じゃなくてですね」「賑やかな声がしてると思ったら、やっぱり明日香ちゃんだったか」「栄太郎さんに文江さん。こんにちは、お久しぶりです」「うふふふっ、明日香ちゃんって本当、スキンシップが好きよね」「いやいやばあちゃん、さらっとこれを日常にしないでよ。笑ってないで助けてくれって」「うふふふっ。でも明日香ちゃんがいない間、ナオちゃんも寂しそうだったじゃない。明日香さん、まだ帰省中だよねって何度も聞いて」「え」「え」 文江の言葉に直希は赤面し、明日香も耳まで赤くして固まってしまった。「……」「あ、あのその、明日香さん、今のは」「ダーリーン!」「どわっ! 明日香さん落ち着いて、こんなところで押し倒さないで」「だってだってー。そんなこと聞いちゃったら、こうしない訳にはいかないじゃん」「いやいや、ここ玄関だから。それにここは高齢者専用住宅で」「みぞれしずく! ダーリンを動けないようにするのだ! 今日こそはあんたたちのパパ、あたしのモノにしてあげるからね!」「分かったー」「はーい」 そう言って、二人が直希の両手をつかむ。「やめてやめて本当……って節子さんにあおいちゃんまで、笑ってないで助けてよ」「ふふっ、ごめんなさいです直希さん。でも、何て言ったらいいんでしょう、本当にあおい荘って、いいところだなって思って」「いいところさね、ここは」「……感傷は後でいいから、助けてってば